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Egon Schiele (エゴン・シーレ) [絵画]

こういったウイルス或いはインフルエンザ等が流行ると何故かスペイン風邪(1918~1919)を思い出し、エゴン・シーレ(Egon Schiele)のことを想ってしまいます。。彼はスペイン風邪と共に28歳で立ち去りました。

ヴァリ・ノイツェルと同棲している時も、ウィーン近郊へアトリエを移した時も、猥雑な絵を描いているとして警察に拘留されたりしました、確かに微妙なポーズのクロッキーは当方の書架にも沢山ありますし、狂気があったとしても、制作へのエネルギーには必要な追い求める命への証だと思えてなりません。彼の絵は高校の美術の教科書で初めて出会っていました。。

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「 家族(うずくまる人物群像) 」 1918 152.5 x 162.5 cm オーストリア美術館 ウィーン

この絵です↑↑。その頃他のシーレ の作品は知らなかったのですが、この絵を観たその時、今まで見たことのない描き方が衝撃的だったし、男性の目線、女性の目線、赤ん坊の目線が印象的だったのも、忘れていなくて【男が不思議な洞穴で、何かから・女・赤ん坊を抱きかかえ守っているのだろうな】という想いがあったのを思い出します。その後シーレのいろんな絵を観るようになり、あの「家族」はシーレの絵だったのだと繋がったのです。この絵は亡くなる1918年に描かれ、シーレは既にエーディト・ハルムスと結婚していて、彼女はシーレの子供を宿したままスペイン風邪で亡くなり、シーレもその後すぐ亡くなったのです。

シーレ2c.jpg
1915年の「死と乙女」この作品は ヴァリと別れる話が出てきた時の作品と言われていて、教科書には載らない作品かなっと思われますが、以前このブログにアップした「向日葵」も絶妙だし、28才でこれだけの重みある作品を描いたシーレ、このような美しい心惹かれる風景も沢山描いていることに、若すぎる死を重ねてしまいます。

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「four-trees」1917 オーストリア・ギャラリー

それにしても:
Wikipedia によるとこのスペイン風邪 1918年から1919年にかけ全世界的に大流行し、インフルエンザ・パンデミック重度指数においては最上位のカテゴリー5に分類され、感染者5億人、死者5,000万~1億人と、爆発的に流行した。

これだけの感染者、死者の数幅は大きいとしても、全人類の3割近くがスペイン風邪に感染し大打撃があっても、今、人類は生き残っているのだなーと、恐竜の絶滅は如何なる異変があったのかと、また違った方向へ想いが移って、いつか遠い遠い未来に人類は、あるいは地球にどんな衝撃が起り得るんだろうと、思いが沸き上がってきたりします。
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