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「サンキャッチャー」 [宇宙]

地動説を唱えても、我々は地球に居て、やっぱり太陽は東から昇り、西に沈んでいく。。。
その核融合反応の温かい輝きを浴びながら、そのエネルギーの波長によって生命そのものが育まれている。

「サンキャッチャー」
太陽光をプリズムのように、それ自体を屈折させ複雑に虹色の光を発し、

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様々に変化し

夜の室内・色は消え
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光の国から朝が回って
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また、透過し部屋の中に小さな虹色の光を乱舞させる。

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「サラ」のところにもやってくる
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届いた光の贈り物


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陽の光 [宇宙]

マンションの窓ごしにいろんな陽の光が見られ、太陽が豊富で、夕陽と朝陽が現れ、特に夕陽が部屋中を真っ赤に染め込んだり、南の陽からも面白い影が出来たりと、時々写真に撮って楽しんでいたのをアップしてみようかなっと。


たまたま起きていて北側の部屋から朝陽が観られる時があります。。

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23年9月1日 05:16


これも朝焼け....同じiPhoneで撮って、どちらもどんな調整もしていないのにこんなにも違う色合い!
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’23年7月/25日 04:39


こちら西側の部屋からの夕陽です。
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21年12月8日 16:38


夕陽との出逢は、この時間は起きているので(;´∀`)、、複雑な関係に陥ることができます(*'▽')'

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23年1月24日17:21


鳩よけのネット越し
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'23年8月4日18:59

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'22年8月26日17:55


ここへ引っ越すまでに、大阪市から移住し、5階建ての5階に住んでいたことがありました。 自分の精神状態だったのかなぁ、、そこで面白いというか、ちょっと奇妙な体験がありました(;´∀`)下記青字に続く


これも西からの光りです。
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'20年5月11日16:29



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’23年7月28日17:03


東の壁面にあるお気に入りの作品、長い光はいつもこのモデルをフォーカス。。
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’22年9月11日18:06


グリーンも一緒にやってきたりする・・
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’22年9月11日18:05


5階の部屋、そこは眺望は抜群で西側に広がった空の向こうには、大阪湾それに六甲の山並みも眺められ、明るく開放的でとても気に入って住んでいましたが、日々が流れて行くうち、この高く青い空と寄り添い、共に流れて行きたい・・・なおかつ、遠い向こうに見える海へ山への想いも湧き上がって

【あの青い空へ溶け込み流れて行こう・・・】という深い憧れが生じはじめ、
【このリビングを走り抜け、あの流れる雲と青空へ飛び出そう】と・・・
すると、もう一人の自分が
【いや~ぁ、、ちょとベランダが高すぎて無理だよ】と言う・・・
【あぁ・・、雲が手招いて、あのベランダの帳は超えるよう~・・】



こちら南、冬の斜めの光りが影を創って面白い
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’22年2月12日 4:35


そんな眺望が良かった部屋でしたが、もう一人の自分が、何かの拍子に飛び立つかもしれないと気づき始め、隣町に1階の部屋が売りに出されていたので、移り住みました。 そこは南側に芝生が続き、その向こうに小高い雑木林があり、春には白い雪柳、続いて黄色いれんぎょが咲き乱れ、そこへ黒猫がやってきたりして、なかなかの景観で、そこも気に入っていたのですが、最寄り駅から遠くだんだん不便と感じ始め、今のアパートに移り住んだのです。 多分もう引っ越しはしないと思っていますが・・(;´∀`)


それと、ここは駅からの帰り道、やっぱり夕陽と出逢えます(∩´∀`)∩、マンションが建ったりしましたが、まだ空に余裕はあるのです。

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’22年1月19日17:44


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’23年9月28日17:44

遊歩道に入ってくると樹々の合間からの夕陽もあり、
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’22年9月26日17:44


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’22年2月27日17:48


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’22年10月20日17:50



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’21年10月26日17:15



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'23年8月29日18:58



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'23年8月29日18:59


空は益々変化し、5階から大空に飛び立ってしまうことなく(;´∀`) この地に辿りつき、こんな複雑な空を眺められ、見えない量子もつれに想いを馳せ、理解不能な、、しかし、何かしら面白そうなこんな関数に出逢って
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眺めていられることが不思議で良かったのかもしれない(;´∀`)♪



これは最上階からの眺め
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'20年1月1日17:20


こちら東の空が、夕日に染まっているのです。
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'19年9月28日 17:46


↑↓近くの公園の光りです。

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'22年10月19日15:40


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'21年9月10日 03:53


不思議に蠢いている、インナーテラスにある真夜中のセローム


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'21年9月10日 03:54


太陽の核融合反応の温かい輝きを浴びながら、生命そのものを育み、こんなにも魅了される光:
e=hν
この式は光を対象とする式としてかかれているそうですが、この式は光に対してだけ適用される式ではなく、あらゆる物質(波)に対して適用しうる非常に重要な一般式なのでそうです。

「光のエネルギー(E)は、振動数(ν)に、プランク定数(h)を掛けた粒子のように振る舞う」
という意味なんだそうです。

プランク定数とは光子のもつエネルギーと振動数の比例関係をあらわす比例定数のことです。


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もあれ [宇宙]

前記事でのカーテンの模様は「もわれ」と言う現象で綺麗すねと、私も何度か作品出品した事がある「ギャラリー〇〇」のオーナー瓢吉庵油坊主の神尾さんが、Facebookのコメントで教えてくださいました。

“もわれ“てどこかで聞いた事かあったよなぁと、曖昧な記憶だったので検索してみると

【干渉縞ともいい、規則正しい繰り返し模様を複数重ね合わせた時に、それらの周期のずれにより視覚的に発生する縞模様のことである。
また、規則正しい模様を、デジタル写真などのビットマップ画像にした場合も、画像の画素解像度と模様の周波数のずれが原因で同様の縞模様が発生するがこれもモアレと呼ぶ。
モアレそのものも周期を持ち、この周期は元になる模様の周期の組み合わせで決まる。物理学的にいうと、モアレとは二つの空間周波数のうなり現象といえる】とありました。

う~ん、、面白い♪♪ 今興味を持ってしているけれど、なかなか読み進めない『量子物理学に重要な””もつれ””””重ね合わせ””』こちら電子ですが、詰まるところ、全ては粒子で成り立っているのだし、根底の根底で通じるものがあるのではと勝手に解釈して喜んで、楽しんで、嬉しい想いなのです。
それと【繊維分野で、布・織物を構成する繊維の不規則性から波型模様が生ずることがある。】
とありこれも量子論の究極”波動関数”に準じるモノがあるのかもと、これも勝手に重ね合わせたりしているのです(*'▽'*')/
一見なんの模様もない白いレースのカーテンですが、室内で重ねると何か波模様のようなものが見えます。これが嬉しい感じです♪♪

量子論は未だ何も判ってないので、見当外れのことを想っているのかもしれないのですが、電子や粒子といった目に見えない世界も、今我々が見えている巨視の世界も、同じ粒子が巨大に集まった世界なのですから、同じ法則があるのではと思えてしまいます。
電子も人間も””もつれ・重なり””不思議に満ちて広がっているのではと思えています。

読み進めている本、量子物理学の『宇宙には複数の私が存在する』までの感覚には行きついていませんが、、これも楽しみなのです。

今日の白いカーテンは風に干渉され、ほんの少しの”もあれ”痕跡のみです(^^)/

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夕陽 [宇宙]

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魅了される夕陽。


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時として出会う部屋からの身近な夕陽。


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きっと、朝陽は神々しく、その日への生きる喜びを感じさせてくれるのだと思う。



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でも、沈みゆくその日、その陽には自身と共に堕ち行く想いがある。


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こうして出会う夕陽
堕ち行くことに暗い闇があったとしても、そこに光の筋を見ることがある。
その一筋の光に焦がれ震えを想うその時が在る。

☆ありふれた自分の部屋から時々夕陽に巡り合えます。
とても早く変化するので、””あーどうしょう””と""もうちょうとゆっくりして””と心の焦りがあって、
そしてその光景がなぜか””もったいない~””と思えてしまいます。
北側の窓から朝陽はみられませんが、朝焼けは見れる時があります。やっぱり感動します。

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夏の日 8月4日 [宇宙]

待ち焦がれた夏
やって来た大好きな夏 

照り付ける太陽 
影のない太陽
なにもかもが取り払われた
至極の時刻
 

長い雨が止んで 陽の光に現れたオリーブの実ひとつ
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名も知らない低木が 放ち漂わせる 室内への微かな紫の香り
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その室内でikimonoは踊り
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漂い舞い
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歌う
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そして語らう
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夜は満月だった 白雲の
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河瀬直美FBより [宇宙]

河瀬直美さんのFacebookよりシェアーさせて頂いた画像です。
By Olympic Film Director Naomi Kawase
次の仕事へ?コメントも流石世界の Naomo Kawaseさんだと思いますが、この海岸線の画像に強く心惹かれました。もちろん映像作家ですから当然の作品ですが。。。

宇宙から美しい星座を見降ろしているような海岸線☆彡心ときめきました。

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画像はリンクしています。


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白いikimonoのこと [宇宙]

命あるものは生まれいつかは消えるけれど、生まれてきた時に持ってきた振動は、この宇宙空間に漂い続けるのではと思っています。それを魂と言うのか、あるいはエネルギーというのか、定かではないけれど、この宇宙空間に次なるものへの振動となって重なり蠢き続けるのではないかと思ったりしています。その全ての振動が亡くなる時、この宇宙は消滅するのではないかと思えたりします。

このように命を想うことはできても、実際ひとつのikimonoが私の目の前から居なくなるという現実は、以上の想いに全てを委ねることが出来ないものがあります。私にはやっぱり視・聴・嗅・味・触の五つの感覚があり、それ以外の感覚もあるのです。それを持ってして今私はここに在り、外界を認識していると思うのです。この私の感覚に触れることが亡くなるという事実が起こることがあるのです。

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コメントより:事実は変えることが出来ないけれど、ある一つの消滅が渦を起こし次なるものへ振動し、巻き込み、新しい何かが私にも伝わってくるのかも知れないと思えるようになりました。
それだけの繋がりがあったikimonoは一緒に曳きづって、共に生き続けるのではと思っています。

以下は自分自身への述懐です。


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宇宙の振動 [宇宙]

「二百十日」立春から210日目、およそ9月1日頃に台風がやってくるといわれていたけれど、なんのなんの、ここんところ10月になっても台風がやってくるし、秋らしい澄んだ高く青い空も見られない、それにそういえば虫の音もこの中庭では聴かれていない、、あの強烈な台風でメインツリーのモミの木も周辺の樹々もなぎ倒されたから、美声の虫までも掻っ攫っていったのかもしれない?

それに追い打ちをかけるように地震も容赦なく襲ってくる。ただ我々人間だって眠っている時に寝返りを打ってゴローッーと自然に動いている様に、地球だって寝返りを打ちたいだろうとは思えるけれど。。
そして、ふと思う、、、地震、振動、、振動というのは根源的なものではないのだろうかと。。

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「hazama 」 出谷和子 F10 2018

宇宙の根源は最初僅かな振動・揺れがあったのではと思えてならない。
我々の体も心臓の動き、振動によって生命の維持がなされているし、また生命を生み出す時にも陣痛という大きなエネルギーの波動ー振動が呼び起され生み出される、それは大きな振動・波動があってこその生命であると思われるし、その生命が誕生する前段階の合体に於いても、振動があり、震えがあって育まれる命であると思うとき、この振動がなくなれば,我々いきものも、地球も、宇宙も、存在を無くしてしまうのではと思ってしまいます。。

ブラックホールの合体によって発生した「重力波」物体の重さによって時間と空間(時空)がゆがみ、そのゆがみがさざ波となって周囲に広がっていくこの現象が重力波と言われていて、これを捉えれば「宇宙誕生時の姿に直接迫ることができる」と言われています。読売新聞に報じられていました。
やっぱり「重力波」振動があったのですね。

宇宙が如何にして存在したか、例え振動があったとしても、何故ブラックホールがあったのだろうか?!
めくるめく深淵の謎はより深まるのだけれど、しっとりした”秋の夜長”の深まりは、なかなかやって来てくれません((;´∀`))

根源的な宇宙の振動である、地震も台風もやっぱり鎮まってくださりませ(;´人`)
しっとりとした心安らかな秋の夜を過ごさせてくださりませ。。(#^▽^#)

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ヒューマノイドロボット [宇宙]

先週リーガロイヤルギャラリーでのグループ展は、雪も舞う日もあってとても寒かったのですが、沢山の方にお出で頂き無事終了しました。有難うございました。

今週もまだまだ寒い日が続いていますが、太陽も少し高くなり部屋に差し込む南の陽射しは短くなってきています。そう、昨日からもう立春です。

DSC_0057c.jpgさてさて先日友人がRoBoHoNなるものをを持って現れました。ショルダーにしていたので、「ペットボトルかいなぁー?」と思っていましたが、RoBoHoNだったのです。















DSC_0067c.jpgiPhoneを立体化し、その機能に人を覚え、座ったり立ったり、フラダンス踊れる?と言ったら、それなりに踊ったりするのです♪♪。















DSC_0036c.jpg帽子を作ったり、いろんな会話に反応するよう覚えさせ、可愛がっているのです[ムード]

会話し撮影etc.するという機能はiPhoneにもあるし、まぁまだまだ開発途上といった感じでした。








でもでも阪大教授の石黒 浩さんのヒューマノイドロボットとなってくると、これはとても興味深い話しになってきます。。先日テレビで
『1000年後に有機物が滅び、無機化した人が残る可能性がある』と言っておられました。まず、無機化した人?それを人と言うのかどうか?と思ったりしました。無機物から有機物へ進化して、鰓呼吸である海から陸に上がり肺呼吸の生き物になった。それが遠い未来無機化した人に進化するという。
そうかな?同じDNAを持っていても魚類や恐竜を人類と呼ばないように、その1000年後の生き物は人とは呼べない生き物に進化しているのではないだろうか?と思ってしまいます。多分魚類が海から陸に上がり、我々人間が地球から宇宙へ出ることが出来たように、その生き物はこの宇宙を出て違う宇宙へ進出しているのではないかと思えてなりません。想像してしまいます。

人間は常に自分の能力を超える道具をつくり自在に動かし今この世界を形作っている。
今の人間が作ったヒューマノイドロボットが、今の人間を超えたヒューマノイドロボットとなり、次々進化したヒューマノイドロボットが生成されても不思議はないし、彼らがこの宇宙を支配し、そしてこの宇宙さえ飛び出ているのかもしれないと想像したりできます。無機化してもそれは永遠じゃなく、それを侵食するものがあるので、やはり常に進化し続けるのだと思えるのです。。興味が尽きません。まぁ、、自分はそんな1000年後の世界を垣間見ることはないので、想像して遊ぶのはとても面白いです。無機化した人?いえいえ、人類なんて呼べない生き物ですよ、きっと。それに今はヒューマノイドロボットは無機物ですが、我々人類も基は無機物だったわけで無機的なものに還るのではなく、より進化し将来的に有機的なもの、我々のDNAも埋め込まれているかもしれないと思えてなりません。。

現生人類ホモ・サピエンスは25万年前に現れたと言われています。そんな年月を思うと1000年後なんてとても近い将来です。

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数学する身体ー森田真生ー [宇宙]

森田真生さんの『数学する身体』という本を読み始めています。未だ完全に読み切れていませんが、私が長年疑問に思っていたことが、この本の数ページ読んだところで、納得できたことがあったのです。

このグラフです。
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このグラフは
『反比例の関係を表すxy=k(k≠0)のような関係をx軸y軸平面に描くと、図のような直角双曲線となる。kの値によって違う線となるが、いずれもx=0(y軸)とy=0(x軸)に限りなく近付く形となる。この限りなく近付かれる線を漸近線と呼び、二本の漸近線が直交している双曲線を特に直角双曲線。』
というとあります。

そううなんです。x=0(y軸)とy=0(x軸)に限りなく近付く形となる
この青字のところが、私の想像を宇宙へと追いやっていたのです(;´∀`)。

高校1年生の数学の時間です、この直角双曲線のグラフが出てきて、その数学の先生は『直角双曲線はX軸y軸には永遠に交わらない、永遠に!。』と強く言い放ちました。で私は「そうかぁ~、、、永遠に交わらないんや、、、えいえんになぁ・・・」と。。それはとても不思議で実際にx軸y軸を眺めているとx軸y軸にすれすれになって来るし(;´∀`)、いつかはいつかわ交わるんとちがうん?・・でも・・そうや・・宇宙は無限やから無限の彼方へ行ってしまうんや。。。とぼんやりした生徒はぼんやりぃと~(*´Д`)~ その後の授業は何も聞こえず宇宙の彼方へ想いを馳せていました。ところが昨今宇宙は有限であるらしいということも言われていて、またそこで私は「ぁあーーじゃー交わるんじゃないん!?」と、このところ益々ぼんやりと幼く退化していく頭で思い始めていました。

でも今は上の説明文に(k≠0)とされているし、宇宙の範囲を定義すると、その外側が必ず出来てしまい、今の我々には宇宙空間を有限と特定できないのではないか?と思えるようになってきました。その境界線を乗り越える時に、宇宙人たる我々は大きな大きな進化があるのだろうと!。果たしてそれがこの今の人間かどうかは判らないし、この地球上の陸と海の境界線でさえ太古のikimono達が肺呼吸と鰓呼吸の間で数百万年 ”ためらい”を刻んで上陸したのですから。。。それよりも以前に魚類の一部は淡水から海水に生活の場を移すのに2億年もの時の流れがあったと言われています。。海水から淡水へ、淡水から海水への進出と適応が何度も繰り返されてきたそうです。

まぁ取り敢えず『直角双曲線はX軸y軸には永遠に交わらない、永遠に。』これは真理だと思っていたのですが、いやいやそれは単に数学上の道具としてのものだったのだと判ったのです。今頃!!でもそこになんだかロマンがあったような☆彡☆彡


で、私は「数学は絶対的真実を発見するもの」だと思っていたのですが、この『数学する身体』のごくはじめに、数学は道具であり、人間が数千年数万年かけて、進化と共に道具として考えだしたものだということ、インド数学・アラビア数学・ギリシャ数学等の歴史を経て今我々が簡単に2桁3桁の掛け算等ができるようになったということ、しかし、自然数・素数等、数の不思議のことも、牽いてはコンピューター人工知能のことにも及んで、そこに心を求めることはできるのかという新たな哲学に通じる問題がありました。

で、、基本数学は道具であること、そこからの追及が、イギリスの数学者コンピューターの基礎を、そしてドイツナチの暗号 ”エニグマ” を読み解いて多くの命を救ったアラン・チューリングと孤高の数学者、芭蕉や画家坂本繁二郎に影響を受け "ハルトークスの逆問題" という大問題を解決した 岡潔、二人の数学者が追い求めた究極のモノ、その違いに森田さんは達したのだと思います。

アラン・チューリングは数学の真実を玉ねぎの皮をその芯に向かって一枚一枚剥ぎ取りながら、そこに、真実が心が追い求めるものがあると、一方岡潔は数学を玉ねぎの皮ではなく種へと、それを育てることで、自分の身体を離れたところにある真実を心を求めて行ったのです。心は自分の頭にあるのではなく身体を離れたところにあると。

今、自分がやっていることの中に解からないのに強く引きつけられる何かがある時、あれば、それは何だろうと一枚一枚皮を剥ぎ取るのではなく、そこに種があり、それを育てていくことこそがモノを作っていくということじゃないのかなと、この本からの岡潔の考えにそうだと思えました。数学をする、モノを創る、絵を描くということも【自分で理解できることではない】その種を、育てていくことにあるのだとこの『数学する身体』を読んで、他の動物にはない人間として ”わからないもの” を想像することの大切さを、その想いをより強くしました。。。

まだ他にこの本の中から感じたことがあるのですが、まだ充分読み切れてなくて文中曖昧な部分もありますし追加しながらまた修正していきます(;´∀`)。


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