宇佐美圭司回顧展 ー絵画のロゴスー [絵画]
宇佐美圭司氏は2012年に亡くなられその回顧展が和歌山県立近代美術館で4月17日まで開催されています。
《遺作・制動(ブレーキ)・大洪水》2012年/油彩、キャンバス/291.0×291.0cm
今回彼の作品を観るのは、世界に認められる機会を得た1965年のライフ誌に掲載された、「ワッツ暴動」の写真から抜き出された【人型の作品】をその後の展覧会で見て以来でした。ヴェネツィア・ビエンナーレや大阪万博での活躍もありましたが、その知性に圧倒された感があって遠のいていました。遠のいていたとはいえ、彼は私の高校の先輩で同じ美術室で絵を描いていたのだろうなという想いは心のどこかにありました。今回中学・高校時代の作品も展示されています。若い10代の意志の強さを感じさせる作品で、その時代の水彩画もあり、抽象的な表現には洗練された知性が既にありました。亡くなられて、はた?とあの人型はどう変化したのだろうか?あの知性はより洗練されて、今またどのようにあるのだろう?それを少しは垣間見ることは出来るのだろうか?今やっと宇佐美圭司という画家に惹かれはじめました。
《還元 No. 6》1963年/油彩、キャンバス/135.0×184.8cm
それに著書の一冊「廃墟巡礼」を読んで彼の思考、人となりをより知り得て強く突き動かされました。
アユタヤのワット・マハタットの仏たち、人の手によって無残に打ち砕かれた首も手もない仏像にしても、ルーブル美術館にある「サモトラケのニケ」にしても、頭部が欠落しているけれど、欠落の形が彫像全体に新しい命を吹き込んでいる。
《水族館の中の水族館 No.2》1967年/油彩、キャンバス/185.0×270.0cm
崩れかけたものや忘れられたように放置されたもののなかをさまよっていると想像力は活性化する。 廃墟には崩壊と生成の振動があり、変容の中でざわめく未来が予感される。蕾の崩壊が花の生成であり、散る花びらは種子を結実を祝福する。崩れ行くもののなかにこそ、生成するものの新たな息吹があふれ出す。
《Wave Ring》1980年/油彩、キャンバス/194.8×270.0cm
安定性の一方で、不安定な変化があってこそ生物なのだと、人間の作るものは本質的に未完成であるではないかと。
《Elevation(高翔)・グリーン》1997年/油彩、キャンバス/259.1×193.9cm
以上の青字記載は大きく抜粋して私の言葉になっている部分もあります。
ローマで出会った崩れゆく遺跡の中に観た同じ想いが語られていました。
アユタヤの仏像もニケもローマの遺跡もみんなikimonoです。そこに想像する力が漂って来ます。
《山々は難破した船に似て No.2》2001年/油彩、キャンバス/290.9×436.4cm
《遺作・制動(ブレーキ)・大洪水》2012年/油彩、キャンバス/291.0×291.0cm
今回彼の作品を観るのは、世界に認められる機会を得た1965年のライフ誌に掲載された、「ワッツ暴動」の写真から抜き出された【人型の作品】をその後の展覧会で見て以来でした。ヴェネツィア・ビエンナーレや大阪万博での活躍もありましたが、その知性に圧倒された感があって遠のいていました。遠のいていたとはいえ、彼は私の高校の先輩で同じ美術室で絵を描いていたのだろうなという想いは心のどこかにありました。今回中学・高校時代の作品も展示されています。若い10代の意志の強さを感じさせる作品で、その時代の水彩画もあり、抽象的な表現には洗練された知性が既にありました。亡くなられて、はた?とあの人型はどう変化したのだろうか?あの知性はより洗練されて、今またどのようにあるのだろう?それを少しは垣間見ることは出来るのだろうか?今やっと宇佐美圭司という画家に惹かれはじめました。
《還元 No. 6》1963年/油彩、キャンバス/135.0×184.8cm
それに著書の一冊「廃墟巡礼」を読んで彼の思考、人となりをより知り得て強く突き動かされました。
アユタヤのワット・マハタットの仏たち、人の手によって無残に打ち砕かれた首も手もない仏像にしても、ルーブル美術館にある「サモトラケのニケ」にしても、頭部が欠落しているけれど、欠落の形が彫像全体に新しい命を吹き込んでいる。
《水族館の中の水族館 No.2》1967年/油彩、キャンバス/185.0×270.0cm
崩れかけたものや忘れられたように放置されたもののなかをさまよっていると想像力は活性化する。 廃墟には崩壊と生成の振動があり、変容の中でざわめく未来が予感される。蕾の崩壊が花の生成であり、散る花びらは種子を結実を祝福する。崩れ行くもののなかにこそ、生成するものの新たな息吹があふれ出す。
《Wave Ring》1980年/油彩、キャンバス/194.8×270.0cm
安定性の一方で、不安定な変化があってこそ生物なのだと、人間の作るものは本質的に未完成であるではないかと。
《Elevation(高翔)・グリーン》1997年/油彩、キャンバス/259.1×193.9cm
以上の青字記載は大きく抜粋して私の言葉になっている部分もあります。
ローマで出会った崩れゆく遺跡の中に観た同じ想いが語られていました。
アユタヤの仏像もニケもローマの遺跡もみんなikimonoです。そこに想像する力が漂って来ます。
《山々は難破した船に似て No.2》2001年/油彩、キャンバス/290.9×436.4cm
「宇佐美圭司」は知りませんでした。
今までにみたことのないタイプの絵でちょっとびっくりしてます。
大阪出身なんですね。
凄いなぁという感想しかありません。
by つぐみ (2016-03-04 20:20)
つぐみさん
先輩なので知ってました(*^_^*)
やっぱりわかりにくい絵なので、一般には知られないんでしょうか?
全てのものは変容するんですよね、
そこで壊れてもなおより美は美しくなる。
いいですよね\(^o^)/☆
by mirro (2016-03-04 21:03)
宇佐美圭司展良かったですね。
しかし、世の中凄い絵を描ける人沢山いてますね。一体全体画家ってどれくらいいるんだ?(@_@)
凄い画家の脳ミソ、視力はどんななんだ?
宇佐美圭司さん、凄い絵を描くなぁー。
宇宙人がいるとしたなら、宇宙人はどんな絵を描くのかなぁー。
絵は描けない?光で表す?
意外と一筆書で<愛>とか描いたら何か~
あーやっぱりそなんだぁー(^-^)とかなったりしてー。オヨヨ~
支離滅裂ですみません。
芸の道は自己の追求ですか?
芸術家って素敵ですよね。
by りつこ (2016-03-05 09:29)
りつこさん
画家はものをよく見る力と、ものを深く考える力が
とっても大切だと思います(*^▽^*)。。。
宇佐美氏は繊細で洗練されてそれでいて想像する力の
あるすっごい画家でやっと彼の一面を垣間見ることができたように
思っています。
宇宙人は空間に時空の歪みを起こして絵を描くんでしょうね☆(^☆^)☆。
絵を描くということは想像することへ近づくことかしらん?(^。^)y-.。o○
by mirro (2016-03-06 00:24)