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LEONARDO DA VINCHI (レオナルド・ダ・ヴィンチ) [絵画]

イタリア文化会館主催の舞台劇「われ、レオナルド ダ・ヴィンチとのありえない対話」 
~現代舞踊を通じて天才の生涯を舞台化した戯曲~ということで 嘗て断片だけ彼の格言や名言を聞いたり読んだりしたことはあっても、ここんところご無沙汰で忘れ勝ちだし、ちょとイタリア付いてるし観て見ようかと行ってみた。
それがまたなんとも摩訶不思議な舞台で、ダ・ヴィンチのかの有名な〚ウィトルウィウス的人体図】にインスピレーションを得て振付されたと言う踊り、はて?さて「ウィトルウィウス的人体図」と言われればそれは程遠いとまでは言わないとしても、男女で踊りが繰り広げられているし、少々アルコールも入っていた関係もあったかもしれないけれど、眠気に襲われそうになっているところへ、踊りが終わると ダ・ヴィンチに扮したイタリア人男優↓↓が現れ、日本人との対話形式でその重要な部分が始まる。

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彼の名言・格言がルネッサンス時代の語法で演じられ、それが日本語で字幕として訳されるのだけれど、その字幕がえっらい早さで消え去ったりずれたりするので読んでいる暇がないし、それはそれは大変な作業だった。
こんな演出なら本を読んだ方がよっぽどより良く理解できたとは思うけれど、今決して読まないし、今回この舞台を観てまた改めて、絵画と音楽の関係に思いを巡らす機会を得ることが出来た。

以前のブログ[絵画と音楽の事]でも書いたけれど、平明な表現だけれど、私にとって絵は本妻、音楽は恋人、優劣などないし、どちらも貴重なとっても大切な存在で本妻なくしてこの世界に立っていることはできないし、恋人なくしてはこの世の喜び享受は半減すること間違いないと感じている。
この偉大な レオナルドダ・ヴィンチが絵画と音楽をどのように捉えていたか、また改めて接する機会があって、とっても興味あるところだった。この舞台では絵画と音楽の他、絵画と科学、絵画と彫刻などについても語られていたが、ただ字幕スーパ-だけで、これ等を判読し理解することは私には至難の業だったので、せめて絵画と音楽の部分だけでもきっちりした内容が欲しかったので、主催者のイタリア文化会館-大阪へ正しい翻訳を教えて下さいとお願いしたところ、快くお返事いただいた。でもその翻訳をまるっきりここへ掲載することは控えてほしいとのことだった。さもありなんと。

で、その翻訳は以前ちょこと見聞きしていた訳とは微妙に表現も変わっていて、
例えば、『音楽は絵の妹と呼べるだろう。なぜならそれは聴覚に頼るからで、聴覚は第二番目の感覚だから。絵は何よりも優れていて、音楽より高く位置づけられている。というのも、絵は生まれるやいなや消えてしまうというようなことがないからだ』とあったのが、
『音楽と絵画は姉妹のようなもの、絵画も音楽も科学だと位置づけられているし、目は他のどんな器官にもまして自然が生みだした無数の多様な形態を見分けることができるものなのだ』 とあり、それは目という器官そのものの持性であって、他の器官に勝るとは翻訳されてなかった。 それに『絵は生まれるやいなや消えてしまうというようなことがない』 ということも訳にはなかった。ダ・ヴィンチは人間の持つ視覚が一番優れた器官だと述べているようだけれど、人間の持つ感覚のうちどの器官が一番優れているなどと私には思えない。ダ・ヴィンチの時代に録音技術はなかったとしても、音楽は楽譜として後世に残すことが出来たし、それをその時代時代の各人による方法でまた新たに表現できる、絵よりより幅広い自由な芸術のような気がするのだけれど。
私個人のことを言ってみれば、もちろん今の私には視覚がなければ絵は描けないし、絵を描く上で視覚は一番大事だけれど、総合的にはあらゆる感覚・器官を使って描いていると思っている。
われ、レオナルドの舞台では目と耳は同じ位置、感覚で捉えられ、以前どこかで聴覚は第二番目の感覚だから・・・というのがあったけれど、時代によって変遷編集していることもあり得るかもしれないと思ったりした、『われ、レオナルド』


さて、ダ・ヴィンチの作品は 嘗てイタリアでそこそこ観ているけれど、日本へもやって来ていて、
チャルトリスキ美術館コレクション展 チェチーリア・ガッレラーニの肖像 『白貂を抱く貴婦人』
leonardo.jpg
このフライヤー気に入ってずーと保存していた。
この時の鑑賞・感想は更新ままならないMirro's HPに掲載していた。
2001年10月30日のつぶやきだった。
 

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コメント 6

りつこ

はぁー、凄い!ダヴィンチ様の現代舞踏ですか~(*^^*)
興味あります。
ダヴィンチって、私の中では密かに人間じゃない、人間より遥かに高度な能力を持っている異性人的な感覚でとらまえてます。

超不思議な・謎が多い人物だなぁーと。
モナリザは、ダヴィンチそのものを描いているやら。彼の作品は不思議なのがあって。

あら、ごめんなさい(;´д`)
話があっち行きました(*^^*)

絵画と音楽、音楽と絵画の位置付け
難しいですよねー。ミロさんが常に思考錯誤している事ダヴィンチも昔に少しは悩んでたんだ(*^^*)傑作!おっかしい!マジ、笑ってしまいました。

真面目に、芸術家ならこの悩みに出くわす事はあり得ますよね。
素晴らしい絵画を見て良い音楽が出来たり、又素晴らしい音楽を聴いて良い絵が出来上がったり。

視覚と聴覚かぁー(*^^*)

ダヴィンチのこの絵の動物のテン?
何だか独特なこの世の生き物では無い何かを感じさせられます。
たまに、ダヴィンチはこんな風な奇妙な画風がありますよね。

人間の背中に鱗みたいなのを描いたり、指が多かったり謎な絵を描く。
ダヴィンチって何者?なのか?

又今夜も眠れない(*^^*)
面白いblogありがとうございました。


by りつこ (2015-03-04 18:46) 

つぐみ

mirroさんもりつこさんも凄いですねぇ・・・。
ダ・ヴィンチと言えば「モナリザの微笑」しか知りません(苦笑)
興味がないせいにしておきましょう・・・。
by つぐみ (2015-03-05 20:01) 

mirro

りつこさん
いつもコメント有難う。
絵画と音楽の翻訳どうもこの時代に聴覚が第二番目の器官などと
翻訳されるんだろうかと疑問を感じたので、問い合わせました。
以上の返事をいただきました。記載変えました。また読んでおいて下さい。
私には音楽で何かを魅了するものは持ち合わせてないけれど
数多くの感動をもらっているので、
感覚に上下などがあるとは思えなかったのです。
by mirro (2015-03-05 22:37) 

mirro

つぐみさん
そうですよ、私もローマへ行ってなかったら、この舞台劇観てなかったですし、
ダ・ヴィンチの絵は嘗てイタリアでそこそこ観てますが、
特別勉強したわけでもなく、格言・名言の類も断片で、終わっていましたよ。
ただこのチェチーリア・ガッレラーニには魅了され続けていますが)・・・(´▽`*)

今音楽にこんなにも惹かれていて、気になったのです。
これもやっぱり縁かなっと(´▽`♬)

by mirro (2015-03-05 22:54) 

猫爺

おはようございます。

こんなイベント?がいつの間に、と読ませて頂きました。
やっぱり田舎で隠遁生活をしてると駄目ですよね。

でも実際の舞台で字幕付ってすごいですね。
DVDみたいに、途中で止めて読み直す訳にもいかないでしょうし。

いつも思うことですが、この当時の写術的絵画を観ていて、
どこかデッサンが狂ってる?と良く思うことがありました。
でももともと日本人と姿形が違うのでしょうから、
私の勘違いなのでしょうけど。

でもやっぱり、この女性の手、妙にぬめ〜っと長い気が?
これも表現の一つなのでしょうか?
何か隠された絵があるのでしょうか?


by 猫爺 (2015-03-13 08:38) 

mirro

猫爺さま
はい、女性の手の妙にぬめ〜っと長いのが気にいっています。
惹かれています( *´艸`)。
Caravaggioのマリアの足もそうですよね。
あんな足ないですよね。
あんな写実なのに、みょうちくりんですよね。
でもそれがあるから楽しみで観ていますし
そんなかったいかったいものばかりでは
画家もちーとは遊びごころいりますよね(*^^)v

古いローマ語の研究者もいらっしゃたのかと( ゚Д゚)
音の響きを楽しむ余裕もありませんでした。
まぁめったに出くわさない舞台劇かと。。。

by mirro (2015-03-13 22:53) 

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