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【宝誌和尚立像】 [絵画]

大坂市立美術館で『木X仏像』 ー飛鳥仏から円空へ 日本の木彫仏1000年ー
6月4日に既に終わっているのですが展覧会がありました。
見ておきたかった 【宝誌和尚立像】一室、二室 魅力的な彫像が並んでいましたが、最終日で時間がなく二室目にあるこの彫像の元へ走って行きました。

顔の部分が左右に割れて、中から別の顔が覗いている不思議な仏像なのです。

宝.png
平安時代(11世紀)重要文化財 京都・西往寺

以前見ていた画像では次々仏様の顏が現れ動きのあるヴィジュアル感を想像していたのですが、目の前にある木彫はしっとりとして穏やかで、割れた中に現れる顏はより穏やかで、動きも特別違和感などなく、私は仏像の知識は皆無で特別宗教的な想いもないのですが、一本の木から彫りあげられた見上げる静かな佇まいに、その姿に、嘗て自然の中で樹であった揺らぎを感じ、この割れたなかから生まれて来るその姿に、樹の言霊・魑魅(スダマ)の存在を想い感じました。畏敬の念と共に手を合わせたくなるものがあり、立ち去り難いものでした。

が、、少し驚きました。この像の横にコメントが表示されていて、以下抜粋ですが
「静謡な表情の顏が左右に裂けその中から同じ様な顔立ちの十一面観音菩薩が現れつつある。日本仏教彫刻史上最も奇抜な造像で、一本造り・・・・」とありました。

この奇抜という表現に言葉に少しウン・・?とひっかっかたのですが、奇抜というのは ”意表をついて風変り” という意味だけと思っていましたが、
【物事の着想が独自で、それまでに類をみないほど新しいさま。それまでにないほど新しく、思いもよらないほど変わっているさま。普通の人が思いもよらないほど変わっているさま。また、他に抜きんでてすぐれているさま。】とgoo 辞書にありました。

ただ私にはこの仏像が奇抜ではあったとしても ”優れ普通の人が思いもよらないほど変わっていることはあったとしても” 優れた芸術品は常に前衛的でありgoo 辞書のいう奇抜だけではないものがあると思っていて、この美術館側のコメントに少し違和感を覚えています。

美術館のWebサイトのこの木彫概要は以下で、もちろん奇抜などとは書かれていません。
『平安時代中期頃、表面に鑿跡(のみのあと)を残す「鉈彫(なたぼり)」像と呼ばれる仏像が登場します。未完成とも、木から仏があらわれる様を表現したのだとも、あるいは儀式的に早く仏像を造る必要があったのだとも考えられています。中国南北朝時代の僧・宝誌は観音の化身で、割れた額の中から金色に輝く十一面観音像の姿が現れたという説話があり、本像はそれを造形化しています。』

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コメント 2

つぐみ

中国の説話があるのですね。
「奇抜」って一般的には優れたものを形容するときは使わないような気もします。
日本語も難しいですが学芸員もボキャブラリーをもっと増やす努力も必要かもしれませんね。
by つぐみ (2017-06-11 20:46) 

mirro

つぐみさん
つぐみさんんもこの木彫像を見られて、感想も述べておられて、
>写真で見るとちょっとおどろおどろしく思えたのですが
実際はそうでもなかったです。
むしろ新たに仏様が誕生するという感じで荘厳な感じがしました。

そうですよね。
つぐみさんも荘厳なと言っておられるように、
見る人の想いですよね。
私も柔軟な温和な顏を見ましたし、根本に自然の中の
樹の言霊・魑魅(スダマ)の存在を想い感じました。

読売新聞の編集委員の芥川善好さんという方は
>正面から見れば、この世にはあり得ない怪異の顏です。
これは何かの奇跡の表現か、単なる荒唐無稽かと思ったぐらいで・・・、
と以前見た時の感想を述べられていて、
今回
☆日本彫刻史に類のない奇想の作です。とらえがたい形を、
よくもありありと刻んでみせたものです。
往古の人の想像力とエネルギーのすざまじさです。
それに梅原猛さんのインドでの多面の像に関しての達見も書かれていて
☆人間認識の底に、人間の複雑性、怪奇性へ洞察があったのではないか

仮面の下といった複雑性を孕んだ作と捉えられますよね。

ただ奇抜ではなく、ここでのように奇想の作と言って欲しかったですよね(*^▽^*)
でも、この”奇抜”っていう言葉がなかったら、
もしかしたら、この像を観に行かなかったかもしれないし、
この記事を書いてなかったかもしれませんw(´▽`*)ハハハハハッ

by mirro (2017-06-11 22:23) 

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